伝説の修験道の開祖 役小角

みなさん、こんにちは、今日は、伝説の修験道の開祖、

役小角(えんのおづぬ)について、書きたいと思います。

 

飛鳥時代から奈良時代の呪術者なんですけど、

肖像画を見ると、頭に頭巾を被り、一本歯の高下駄を履いて、右手に巻物、

左手に錫杖(しゃくじょう)を持ち、前鬼・後鬼と一緒に描かれています。

634年1月1日に大和国茅原に生まれた、伝説の修験道の開祖で、

孔雀明王の呪法をつかい人々を救ってきました。

 

修験道とは、山岳信仰と仏教、密教などが習合したものと言われています。

そして不動明王と蔵王権現を崇拝するものですが、

聖徳太子と空海と源義経も、同じ導きを受けているようにも思います。

実際に、聖徳太子が孔雀明王にまたがっている肖像画もありますし・・・

開祖の役小角ですが、神の使いとして、武蔵の国(日本)に

仏教や、密教や呪術を広めて救った、

ヒーローのような気がしますよね。

この634は、スカイツリーの高さでもありますよね。

 

この役小角ですが、朝廷に反発したとして、

伊豆大島に流刑にされましたが、

その後は流刑も許され、生涯をまっとうしました。

この流刑なんですけど、日蓮も、されていますよね。

必ず、新しい教えを広めようとすると、それを利用する人もいたり、

実際の神通力を目の当たりにし、恐れられて、

流刑にされるような気もしますが・・・

 

そんな小角がみた、インドに起源をもたない日本独自の神様が 

蔵王権現(ざおうごんげん)さまです。

必ず片足をあげてますが、この蔵王権現さまは、

釈迦如来・千手観音・弥勒菩薩の3体が融合した神様と言われていて、

日本全ての山の神様で、奉ってあるお寺も日本中にあります。

この権現さまとは、神の神号の一つで、日本の神々を

仏教の仏や菩薩が仮の姿 で現れたものとする本地垂迹(ホンジスイジャク)

思想による神号なんですけど、簡単に言うと、仏が日本人を救うために

神となって表れたという神仏習合思想の理論になります。

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皆さんご存知の徳川家康も、

 

大権現と呼ばれていますが、これは、比叡山延暦寺出身の僧で

天台宗の南光坊天海が考えた、神様としての名前です。

 

天海は、江戸を京都に見立て、鬼門方向に比叡山をそっくり配置した

「東叡山寛永寺」を作り、裏鬼門に山王日枝神社を作り、

江戸に結界を張った人物です。

江戸の神社仏閣を完璧に配置した天海が、関東平野全体の結界つくりの

総仕上げとしたのが日光東照宮で、これは関東のあらゆる神社仏閣を

統括する北極星にあたるものです。

修学旅行などでも、定番だと思いますが・・・

東照大権現という、天海の創造した神様は、東のアマテラス、

つまり天皇家の祖先神に対峙する関東武士の祖先神です。

豊臣秀吉の豊国大明神と差別化した大権現という呼称が

天海のオリジナルなアイデアなんですよね。

ここで天海が思想的支柱としたのが、山王一実神道と言われるもので、

これは要するに比叡山延暦寺(仏教)と山王日吉神社(神道)は

もともと一体のものなので、仏と神を合体させたパワーは究極である

というようなものです。

 

つまり徳川家康は、神にして仏であり、あらゆる神仏を包括した

最高権威となったんですよね。

天海が、仏教の僧侶でありながら、神社もつくれば家康の神号も考える、

というのは、神仏習合思想が、基づいていると思います。

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話がそれましたが、役小角は、

 

現在では山伏の元祖として

よく取り上げられることが多く、幼き頃より物覚えがよく、

呪術を使い、文武三年(699)に、金峯山と葛城山に橋を架けようとしたが、

困り果てた「一言主」(ひとことぬし)という地の神さまが

人の口を借りて「役小角は天皇を滅ぼそうとしている」と

陰口を言ったので、それに怒った文武天皇は、彼を捕まえようとしました。

でも、呪術を使うので簡単にはいかないので、彼の母を捕まえたら、

彼は素直に縄について、伊豆に流されました。

 

しかしこの人物は転んでも只で起きるような人物ではなく、

昼は命令に従って伊豆に居たが、夜になると富士山に登って修行をし、

三年の月日が経ち、ついに彼は恩赦を受けて大宝三年(701)に

都に帰されることになりました。

その時は、孔雀王の呪教を修めて仙人となり、

空を飛ぶようになったという伝説があります。

そしてこの話には後日談があり、陰口を言った、一言主は、

今でも呪詛されていて縛られたままだといいます。

この話を聞くと、神様を超える力を得た事になりますが・・・

 

人間である行者が修行して仙人となり、ついには他国に自由に飛翔し

虎に化身したり地の神さまの一言主まで、

呪詛して縛ってしまうというから本当に奇妙な話ですよね。

でも、それだけの呪術者だったのかもしれませんが・・・

日本で言われている、神様の天照は、天皇家の先祖に当たり、

元は人間だったという事で、その神様ですら成仏させることが出来る

教えが、仏教になります。

もともと、役小角の伝説が記された、日本霊異記という本は、

僧侶が仏教の霊力を広める目的をもって8世紀末から、

9世紀初頭に編纂した日本最古の仏教説話集なんです。

でも、役小角という人物が、仏教修行者と言うよりは、

古神道を信奉していた行者で、仏教に取り込まれて

神仏習合が、より深く民衆に広まったようにも思います。

 

話に出てきた、一言主とは、葛城山の麓に住んでいた

葛城氏の人々の祖神と言われていますが、

要するに、仏の術を体得すれば、神さまをも超える力を得られる

という事を、伝えたかったのかもしれませんね。

現在、山伏と、あまり聞かなくなりましたが、

今は、聖護院を本山とする天台宗本山派と醍醐三宝院を本山とする

真言宗当山派ということになっています。

 

山をネットワークとして存在した神々の祠と社は、

次々と仏教に習合をさせられることによって、

仏教の教えを根源とする思想に改変させられてしまったんですよね。

その後は、皆さんもご存知の、宗教的天才空海が現れ、

密教の加持祈祷の方法を中国から持ち帰ることによって、

山岳修験者の多くを真言宗に呼び集めた気がします。

加持祈祷と呪詛の最新技術が、密教には詰まっていたので・・・

空海のライバルには最澄がいますが、密教では少し、遅れをとっていたので、

弟子の円仁は、中国に渡り、密教を学び、古神道の山伏を、

天台宗に取り入れたように思います。

日蓮宗でも、独自の荒行をすることで、神通力を得る事が出来、

一部の阿闍梨(伝道師)によって、加持祈祷も行われています。

 

最後に、役小角が見た、蔵王権現様を守護神にもっている、

お坊さんは、現代の日本でただ一人で、

その方とのご縁で、私も、このブログを続けられています。

人それぞれ、信じる信じないはあるでしょうが、

本当に、沢山の方々が、命を救われてますし、

未来が見える方なので、皆さんがご存知の

各界の有名な方もお寺に来られます。

取材の話も、何度もありましたが、メディアに出る事で

一般の方を救えなくなるという事で、全部断っていますけどね。

たくさんのご縁と日々の健康に感謝をしながら、

一日一日を大切に過ごして頂きたいと思います。

それでは、皆様に開運が訪れますように・・・

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